マイ昆虫記録館>鱗翅目>タテハチョウ科
採集日 | 採集地 | 採集者 |
---|---|---|
1989年7月9日 | 北海道丸瀬布町湯ノ沢 | 管理人 |
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本種との初出会いはとても印象深いものだった。
以下にその時の経験を書きますが、少々長くなりますので興味のない方はご割愛願います。
1989年の夏、私は地元の札幌でシステム開発の仕事をしていた。とても忙しく昆虫採集
どころではなかった。土曜日に休日出勤していたある日のこと、何かとても強い採集意欲が湧いてきた。
社会人になり、仕事に追われる毎日でこんな気持ちになったのは初めてのことだった。本当にいてもたっても
いられない程強いものだった。「何を採りに行こうか。」そう自問してすぐに、「よし、オオイチモンジにしよう。」
と決断した。本種はそれまで採集経験はおろか、標本をみたことすらなかった。東京にいたころは、長野県などで
まれに出会える珍品、との認識がある程度だった。札幌で生活するようになってから、いつかは出会いたい
ものだと憧れていた。道内の昆虫を主に掲載した図鑑では、北海道では比較的よく見られるとあり、産地
として丸瀬布(まるせっぷ)町が紹介されていた。
丸瀬布町は道東にあり札幌からかなり遠く、未知の場所だった。不安はあったが、本種をなんとしても
採集したいと思い、出かけることにした。切りの良いところで仕事を終え夕方帰宅した。丸瀬布町について
手元にあった観光案内などで調べた。丸瀬布駅から少し離れたところに「翠明荘(すいめいそう)」
という温泉施設があるらしい。温泉旅行のつもりで行ってこよう、蝶はまあ採集できれば
ラッキーだな、との軽い気持ちで採集道具をリュックサックに詰め、夕食後両親に「道東に旅行に行ってくる。
明日の夜戻る。」と告げ、札幌駅に向い、札幌23時発の網走行き急行大雪(たいせつ)に乗り込んだ。心は早くも
立派な翅を持つ本種を採集する情景が目に浮かび、胸の高鳴りと心地よい緊張感で仕事の疲れも
吹き飛んでいた。丸瀬布には午前4時頃に到着するため、寝過ごさないようにブラックコーヒー
を何倍も飲み、暗闇の中、時々通り過ぎる駅や町のわずかな明かりをぼんやり眺めていた。
まだ薄暗い丸瀬布駅で降り、駅前のバス停を探した。翠明荘行きのバス停を見つけ、時刻表を
見ると始発は6時30分だったので、薄暗い駅の構内で横になって時間を過ごした。外が明るくなり
送迎バスの時間が近づいたので、バス停に向かった。すぐにバスが来て乗り込んだ。乗客は私一人だった。
30分ほどで翠明荘に到着した。時代を感じさせる雰囲気の良い温泉宿だった。受付で手続きを
済ませ、誰もいない畳部屋で休憩し、一時間ほど経って外出した。すぐ近くに林道の入口があり、1メートルほどの
縦長の板に「湯ノ沢林道」と書かれていた。林道の両側には色とりどりの花が咲いていた。とりわけ、
ピンクや紫、黄、白などのルピナスが、北国の青空の下、微風に揺れて咲き乱れているのが印象的だった。
「何かいいことがある」との予感があった。林道には誰もいなかった。砂利道をゆっくり歩いて20分ほどの
ところで、右側から突然何かがピョコンと飛び出し、道の真ん中でじっとしていた。近寄って確認した。
それは、忘れもしない人生初の本種との出会いだった。まったく動かず簡単につまむことができた。
大空を素早く滑空し、とても簡単には採集できないだろうな、とイメージしていた出会いとは大きく
かけ離れていた。つまんだ本種を三角紙に包み、じっと見てみた。渋い赤茶色の鮮やかな、立派な
翅を持ったまぎれもない本種の姿に、急に感動と歓喜が込み上げてきた。
その後、太陽が昇り始め気温がじりじり上がってくると、一頭また一頭と飛翔中の本種が現れてきた。
最初は目の高さほど、その後少しずつ高いところを飛んでいた。最初の一頭を採集していたため、
うれしくてワクワクしながらも焦って取り逃がすこともなく採集できた。午後一時頃まで林道を進み、
9頭採集した。もうこんな幸運に恵まれることは無いだろうと思い、出会った本種はすべて採集した。
急激に疲労を感じて翠明荘に戻った。
畳部屋で休憩した後、温泉に入った。透明で少しぬるぬるしたお湯は、汗びっしょりだった体を癒してくれた。
風呂上がりにざるそばを食べた。こんなうまいざるそばは初めてだった。食後、湯ノ沢林道の方を眺めながら、本種との
最初の出会いから翠明荘に戻るまでを振り返った。快晴の下、緊張感とそれに続く歓喜が波のように押し寄せてくる様々な
シーンが浮かび、心地よい余韻にしばらく浸りきった。(2019年5月記)